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曽我大穂、仕立て屋のサーカス、cinema dub monks

dubmonks.exblog.jp

富良野塾(倉本聰主宰)、閉塾。

高校生の頃、
学校の休みの日は全て、
日本中をあちこちヒッチハイクなどしながら
歩き回ってた。



高2の冬は、北海道を歩きまわった。


中途、
ふと、富良野塾に向かった。


向かうといっても,
ちゃんとした場所を知らなっかたので、
ヒッチハイク乗せてくれた方と
かなり迷った末、
山中の、
なんとなくな場所の道脇で降ろしてもらった。


日が暮れ、ぐんぐんぐんぐん暗くなる。


雪の中、

長い時間、、




ぼろぼろびしょびしょになりながらも
なんとか塾をみつけた。



「そういう旅行者を泊めるのはお断りしてます。」
とすぐさま断られた。



結局
塾生の代表、一番年嵩な方が
こっそり、泊めてくれた。
たしか、北村さんという名前。脚本家志望だったと思う。
あそこで断られてたら、寒さと疲れで、、どうなっていたか。
後々振り返り、なんて浅はか馬鹿な事をしたのかと、、、、思。
見せ物でもなく役者になるため必死に働きながら稽古してる場所に
理由もなく、泊めてくれ、見せてくれ、とは。


少し話が逸れるが、
僕の家には、テレビがなかった。
産まれたばかりの僕の粘膜系、とくに眼の充血・目やにひどく、
母親がテレビを苦手だったのもあるが
眼にもよくないのではとの理由で捨てたらしい。
ドラエモンやドカベンなどアニメは、ラジオのTV音声にチューニングし、
音だけで映ていた。

テレビが無い代わりに、本はくさるほどあった。
その中に、「倉本聰 脚本コレクション集」みたいなものが20~30冊有り、
一話一話、一冊一冊、
頭の中で想像しながら、
勝手に町や家や道を作り、
役者さんの顔も作り、
全部読み干した。


あの冬、
ただただ、シンプルに富良野塾をみたかったんだろうな。




こっそり泊めてもらい、こっそり入れてくれた塾のお風呂で
のぼせて倒れ、気絶してしまい、鼻血もだし、迷惑を何重も何重もかけ、
朝早くに出た。



『富良野塾 26年の歴史に幕。 多くの俳優、脚本家を育成。』
というyahooニュース。


富良野塾が今日、終わったそうです。


北村さん元気かな。




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by cinemadubmonks | 2010-04-05 04:24 | 本や旅の事。 | Comments(6)
Commented by カヤ at 2010-04-09 10:50 x
「富良野塾」のキーワードでこちらに辿り着きました。
こんにちは、お初にお目にかかります。富良野塾の元塾生、カヤと申します。
10年以上前に入塾し、あの谷で二年間を過ごした元塾生です。

「北村さん」と言うのはきっと、7期生の北村稔さんですね。
あなたのブログを拝見して、自分の在塾時代の様々な事を思い出しました。
特に昼間、塾内で作業している時に時々敷地内へ入り込んで来た一般人の方々の事を。
たいがい皆さん観光客で「へ~、ここがあの富良野塾なのねえ^^」等と物珍しげにカメラ片手で木道をぞろぞろ散策されていらっしゃるのですが、そんな時は塾生やスタッフの誰かが飛んで行って「すみません!塾の敷地内は関係者以外立ち入り禁止でして・・」と何度も頭を下げていました。
そんな光景をたまたま塾内作業を割り振られた塾生達は「あー仕方ねえなあ、まーた入って来ちゃって」「ホント俺ら見世物じゃないっての」と怒ったり苦笑したりしつつ眺めていました。失礼ながら、私も、そんな軽口や愚痴を叩いていた一人でした。
Commented by カヤ at 2010-04-09 10:51 x
確かに塾内は原則「部外者厳禁」でした。
ギリギリの経済と精神状態で暮らす塾生の真剣な学びと生活の場に
稀に乱入して来られるオシャレな装いの旅人の皆さんは汗まみれ泥まみれの私達のやり場のないストレスのはけ口になり、キツい作業の傍らの無駄話のネタとして散々こき下ろされたモンです。
そんな按配だから、OBの方がこっそり旅行者を塾に泊めてあげた事があったなんて、全く知りませんでした。

けれども今、あなたのブログを読んで、正直何だかとても嬉しいのです。
あの頃、「この場所をよその誰かがちょろっと見に来た」というだけで過敏に過剰にマイナスな反応をしていたのに。
Commented by カヤ at 2010-04-09 10:53 x
それは多分、あの頃の私も本当は、あなたと全く変わり無かったという事に
閉塾式も過ぎ、富良野塾が終わった今になってようやく気付けたからだと思うのです。
「なんとなく、富良野塾に向かった」のは、私達もきっと同じ。
これも今だから言える事だけども、富良野塾に入塾する塾生は、全員が全員そこまでの確固たる意思と決意を抱いて谷に来る訳では有りません。
こんな事、大声で言ったら叱られそうだけど、ホントに漠然と「ここに来ればダメダメな自分の何かが変わるかも」と、たったそれだけで門を叩く人間もいます。
思えば私もそういう、まだお尻にカラ付けてる情けないひよっこの一人でした。
「北の国から」はほとんど観た事ありませんでした。「倉本聰 脚本コレクション集」は塾のけいこ場の書庫にあり、それらを入塾してから初めて全部読みました。
そんなんだから在塾中もずっと鳴かず飛ばずで、一応二年間辞めなかったから卒塾証書は頂けた、というだけです。
Commented by カヤ at 2010-04-09 10:53 x
富良野塾の生活は厳しく、毎年入塾する20名の内、退塾者が必ず出て20名卒塾出来るのは稀だといわれていますが
(確かに全員卒塾出来たのは特に結束の固かった後輩の15期くらいしか記憶にないような・・・)
でも、ぶっちゃけ「辞める」と決意して塾を去って行った奴の方が
どっちつかずの自分よりよほど覚悟を持っていた潔い人間であったと、今でも思います。
どんなに昼間の薪割りや農作業が厳しかろうが、ただそこにしがみついて「い続ける」だけなら不可能ではないのです。
しがみつくだけで精一杯で前に進めない奴にも、他の仲間や先生は決して「辞めろ」とは言いません。
ただ、無言でその場に置いていかれるだけなのです。
漠然と、覚悟もなく入塾した奴ほど、毎年この試練をまともにくらいました。
あの頃、塾にはそんな「自分との戦い」に疲れ果て、やさぐれた若い塾生が山ほどいました。
Commented by カヤ at 2010-04-09 10:54 x
そんなかつての自分達と同じように、あなたはある日この谷に辿り付いたのだと思います。
そしてそんなあなたを放っておけずに、他の塾生には内緒でこっそり塾に泊め、お風呂に入れた先輩がいた。
その事が、塾の閉じられた今はただひたすら嬉しく、切なく、懐かしいです。

どうか、お元気で。お仕事がんばって下さい。
(だらだらと長いコメントゴメンナサイ。重ねてお詫び致します。)
Commented by cinemadubmonks at 2010-04-09 14:25
かやさん、コメントありがとうございます。
大阪にすぐ向かわなきゃ行けないのに、、何度か読み返してしまいました。。 ありがとうございます。。

ライブ遅刻だ。。。。
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